絵の指導というと、何かとても難しいことのように思われがちです。これは、絵は芸術であって、なにがしか神聖なもの、という考え方によるのかもしれません。
たしかに絵は芸術にもなりますが、それは言葉が芸術にもなるのと同じで、絵も、心を打つ芸術作品にもなれば、悪口を言うことも、道順を教えることもできるのです。だいじなのは、描きたいものを描くこと、描けるようになることです。
また逆に、文字の書き方を教えるように、お手本を描いて与える人も多いようです。これもちょっと問題があります。
環境さえととのえれば、子どもは自分からどんどん絵を描く、という意見もあります。たしかにそうかもしれません。けれど、子どもが絵を描くのは案外たいへんなことで、途中にはいくつものハードルがあります。それを自力で乗り越えられないとき、
「自分は絵が苦手なんだ」と思いこんで、描かなくなってしまう子も多いのではないでしょうか。
描きたいものを描けるようになるためには、とにかくたくさん描くこと、描き続けることが必要です。そのためには、むずかしい場面で大人がアドバイスしたり、手助けしたりすることも全然OKだと私は思っています。
すばらしい芸術作品を描かせよう、というのでなければ、幼児の絵の指導はさほどむずかしいものではありません。この章では、その方法をできるだけ具体的に書いてみます。
絵の上手、へたを子どもの前で口にすることは、たいがい、いい結果を生みません。遅かれ早かれ、子ども自身が他の子どもや大人の作品と比べて、自分の作品を評価するようになります。
9才から思春期までの間に多くの子どもが絵を描かなくなり、思春期を過ぎても自分で描き続ける子はほんのひとにぎりです。その原因の一つが、他と比べることではないかと思います。できれば評価を気にせずに、いつまでも無心に描いてほしいものです。
幼児のおしゃべりを聞くとき、私たちは、話し方のうまい・へたよりも
「何を言いたいのだろう?」と耳を傾けます。
絵を見るときに必要なのもこの姿勢です。おとなが真剣に絵の内容をくみ取ろうとすると、ただ「上手だね」とほめるよりも、子どもは意欲的になります。
大人にとっても、子どもが何を描いたのか、どういうところを工夫したのかが見えてくると、子どもの絵を見ることが、これまで以上に楽しいものになってきます。
子どもの絵をほめることは、指導の第一歩です。けれど、子どもの絵の、何をどうほめたらいいのか、悩んだ経験をお持ちの方は多いのではないでしょうか。
とりあえずほめておく、というのも悪い手ではありませんが、一歩踏み込んで子どもがどんな工夫をしたのか、それを見つけてほめることができれば、絵を描くよろこび、成長のよろこびを、親子で共有することができます。
子どもがどんな壁につきあたり、どんな工夫でそれを乗り越えるのか、ここではいくつかの例を見てみようと思います。
新しいパターンを描くことは、こどもにとってなかなかの大事業です。案外むずかしいのが三角形です。年中の男の子が、三角形が描けずに、なんどもチャレンジしている現場に立ち会ったことがあります。幼児は目も手も自在にコントロールできるわけではありません。とくに、斜めの線をひくことは、幼児にはなかなかたいへんなことなのです。
ギザギザや、ひまわりや雲を描くときによく使われる、モコモコした連続の円弧も、描きなれていない子どもには難関です。こういったパターンを習得するには練習あるのみ。1~2才でなぐり描きを十分に経験した子は、こういったハードルをクリアしやすいようです。
子どもの絵に新しいパターンが現れたら、それは大いにほめる価値があります。
初めて魚を描く。初めてうさぎを描く。初めてチューリップを描く。たいがいの子はとまどいます。
そういうときに「~の描きかた教えて」とたずねる子どもも少なくありません。
後でくわしく書きますが、描きかたを教えて、と言われたときには、最初のきっかけ、つまりそのモチーフの中心になる部品がどんな形か、をイメージさせることでたいがい解決します。お手本を描いて与えるのはてっとりばやい方法ですが、いつもお手本を与えるのはよくありません。
できあがった絵が、かわいくないとか、それらしく見えないとかは、問題ではありません。どんな表現であれ、描けたということに価値があるのです。
* 初めて描いた恐竜 5才5ヶ月 男児
2点とも
これは壁というものではありませんが、2~3才でよく見られる現象です。同じパターンを画面を埋め尽くすようにたくさん描くことがあります。そしてよく見ると、その中にいくつかのバリエーションが含まれています。
* N.K. 2才 女児
鳥井昭好氏(1985年『子どもの絵の見方、育て方』大月書店)は、これを「ファンファーレ」と呼びました。描くことのよろこびが、まさにファンファーレのようにあふれています。ひとつのパターンをくり返し描くことで、子どもはそれを自分のものにし、さらに発展させていきます。
6才前後から、ちらほらと横顔へのチャレンジが見られるようになります。が、これはかなり高いハードルで、大人から見れば奇妙な失敗をいくつも見つけることができます。
右の魚の絵は、目を片方しか描かないことで横向きを表現しています。
* M.R.くん 5才9ヶ月
これは横顔を描くときの基本的なテクニックです。口は正面顔でつかったパターンをそのまま使っています。一つ目小僧のような顔になってしまいましたが、多くの子どもは、横顔という難題への第一歩を、このような形でふみだします。
次の人物の例では、鼻、口、ともに省略しています。くつのひもまで描いていることから、作者はけして手を抜いているわけではないことが分かります。難しくて描けないのです。
* S.H.ちゃん 6才10ヶ月
F.M.ちゃんのうさぎの絵は、よく見られる、横向きの体と正面向きの顔を組み合わせた例です。とてもかわいく描けていますね。作者はとくに横向きを描こうとしたわけでも、また、正面向きを描こうとしたわけではなく、描きやすい顔と描きやすい体を組み合わせたのかもしれません。
* F.M.ちゃん 5才7ヶ月
もうひとつのうさぎは、果敢な挑戦の例です。
* N.N.ちゃん 6歳前後
このうさぎは顔をしかめているわけではありません。横を向かせるために、目を横にずらしたのです。3本ずつついているまつげの、左側のものが、奇妙にまがっているのも、カールしたまつげを横から見た形を表現しているものと思われます。たいへんな努力です。結果として、上のうさぎに比べれば、かわいくない、奇妙な顔になってしまいました。
しかし、子どもの努力や工夫は、このような「失敗」の中に見て取れることが多いのです。
次の人物の絵は羽が生えているわけではありません。手の指を描いたのです。
* A.R.くん 5才9ヶ月
まだ、一本一本の指を細く描くことができないのですが、「指は5本」であることを、誠実に描こうとしています。右がわにあるのは、ピストルです。この鳥の翼のような指の表現は、けしてめずらしいものではありません。
もうひとつのY.M.ちゃんの人物も、見た目はインディアンの衣装のようですが、きちんと左右とも5本ずつ指を描いています。
* Y.M.ちゃん 6才ごろ
このように細部を描き込んでいくことは、言葉の発達にたとえれば、一語文から二語文、そして三語以上のまとまった文を話せるようになることに相当します。文が複雑になれば、言葉と言葉のつながりで失敗することがあるように、絵でも、細部を描き込んだために奇妙な絵になってしまうことがあります。ですが、いずれ子どもはそのことに自分で気づいて訂正するようになります。より詳しい表現ができた、ということに大きな意味があります。
子どもの絵は、部品を付け加えていくことが基本ですから、迷路で分かれ道を描こうとすると、右のF.M.ちゃんの絵のようになるのが一般的です。次のS.K.ちゃんの迷路では交差点につぎめがありません。分かれ道を描くスペースを、あらかじめあけておいたのです。
* F.M.ちゃん 5才9ヶ月
S.K.ちゃん 5才10ヶ月
この能力は、つながった輪郭で描くときや、重なりを描くときにも大変重要な要素になってきます。 このような計画性の発達は絵だけでなく子どもの発達全般に見られます。
以上、いくつかの例を見てきましたが、これらはほんの一部にすぎません。強調しておきたいのは、私たちはこういった工夫を見過ごしがちだ、ということです。
見た目にととのった作品、それらしく見える作品を、私たち大人はほめますが、奇妙な作品や、子ども自身でさえ、
「しっぱい」
といって丸めてしまうような作品の中にこそ、子どもの工夫がかくされています。
これまで見てきたように、子どもの絵の発達はハードルの連続です。
当然、つまづくこともあります。そんなとき
「~の描き方おしえて」
ときいてくることも多いのです。
こんなとき、大人はよく「お手本」を描いてあげますが、前にも書いたように、これはあまりいい方法とは言えません。
絵を描くとき、幼児は
(1)対象を必要な「部品」にきりわける
(2)それぞれの部品を丸、三角、四角、線などのパターンにおきかえる。
(3)これらのパターンを画面に配置する。
という作業を行っていると考えられます。
こうして描かれた絵は、ひとつの丸、一本の線も、子どもが見たものやイメージした何かに対応しています。
一方、お手本を与えられると、子どもはお手本の中で描かれているそれぞれのパターンが、対象のどんな部品に対応しているのかを考えることなしに、写してしまうことがあります。つまり、絵の中のそれぞれのパターンを、意味のないものとしてあつかってしまうことがあるのです。
言葉と同じように、絵も、意味があることが基本です。
意味のある部品を組み立てて、さらに複雑で大きな意味をつくりあげる──それは絵、言葉、音楽、すべてに共通する営みです。いつもいつもお手本を与えることは、この力を損なう危険があります。
しかし、お手本を与えることが絶対にいけない、というわけではありません。
7~8才から、絵の好きな子どもたちは、自分のお気に入りのキャラクターやモンスターをよく模写します。それによって、子どもたちは確実に腕をあげていくようです。横尾忠則が幼児期に「宮本武蔵」の挿し絵をじつに見事に模写していることはよく知られています。
こういった自発的な模写の場面では、子どもたちは描かれたものの意味をくみ取りながら、効果的な表現法や、洗練された様式を学んでいると考えられます。
幼児期の絵にも、お手本から学んだと思われる表現がよくあらわれます。都市部の幼児は犬やネコ以外の動物にはほとんど触れる機会がありませんから、彼らが描く動物の多くは、絵本や図鑑、子ども向け商品のイラスト、あるいは大人が描いてあげた絵などから学んだもののようです。ただ、そこで重要なのは、描かれたそれぞれの部品が、意味をもっているかどうかです。
意味がわからないまま描いた形は、線に力がなかったり、部品と部品の境目があいまいだったりします。子どもの絵にこのような兆候があらわれたら、子どもが年齢にあわない難しい絵を写していないか、考えてみる必要があります。
お手本を描いてあげる必要にせまられたときは、その子の段階に合わせた描きかたで描いてあげることが必要です。 たとえば、その子がまだ連続した輪郭線を使わない段階ならば、丸、三角、四角などの単純な図形を組み合わせた描きかたに「翻訳」して描いてあげるのが無難です。輪郭線で描く段階の子どもでも、重なりをふくむ表現はなるべく避けた方がいいでしょう。
もちろん、お手本にたよらず自力で解決できればそれがいちばんです。
では、お手本をあたえずに指導するにはどうしたらいいでしょうか?
幼児がなにかを描きたいけれど描けない、というときは「部品に分けて描かせる」ことでたいがい解決します。
前にも書きましたが、幼児は絵を描くときに
(1)対象を必要な「部品」にきりわける
(2)それぞれの部品を丸、三角、四角、線などのパターンにおきかえる。
(3)これらのパターンを画面に配置する。
という作業をしていると考えられます。
つまり、描きたいものがあるのに描けない、という場合は、この3つの作業のどこかでひっかかっている、ということです。
このような場合、その対象の中心となる部品(子どもがはじめに描くと思われる部品)を、言葉でイメージさせることで、たいがい解決します。
たとえば、うさぎが描けないという場合、
「うさぎの顔はどんな形?
丸かな、三角かな、四角かな?」
というように問いかけます。
顔の輪郭が描ければ、子どもはごく自然にその中に目鼻を描き込むでしょう。耳をかくことにとまどっていたら、さらに
「耳はどんな形かな?
丸?なが丸?三角?」というように問いかけます。胴体や脚についても同様です。ほとんどの場合は、顔の輪郭ができた時点で、迷うことなく描き進むでしょう。
子どもは頭から描きはじめることが多いので、うさぎや犬のように、頭と胴体がはっきり区別できるものはこのように比較的かんたんです。
カブトムシやクワガタのように、体の構造が人間とかけはなれているものの場合は、ちょっとややこしくなります。この場合は、実物があればもちろん実物を、なければ図鑑の挿し絵などを見ながら、
「どこから描こうか?」
というように問いかけていくのがいいかもしれません。
子どもは胸節を顔にみたてて、そこから描きはじめるかもしれませんし、頭・胸・腹の節をまとめた、長まるの輪郭をとらえて、それをはじめに描くかもしれません。あるいは、
「ここが頭だよ、ほら、目と触覚があるでしょ。」
というように指摘すると、大きさやバランスを無視して、人間の顔のような頭を描くかもしれません。それはそれでOKです。
* K.K.くん(5才7ヶ月)が初めて描いたカブトムシ。それぞれの部品が意味を持っていることが大切。
大切なのは、今描こうとする形が、対象の何かの部分に対応した「意味」をもっていることです。それを押さえておけば、お手本を描いてあげることも、このようなケースではいいかもしれません。
ようするに、先にあげた3つの作業のうち、
(1)部品にきりわけること
(2)それを何かのパターンに置き換えること
を、言葉で手助けするわけです。
(2)のパターンへの置き換えでつまづく場合もあります。クワガタムシの大あごのギザギザ、鳥の翼の連続した弧、などです。これらは、細かい部品にわけてしまうという手もあります。つまり、ギザギザや、羽根の一枚一枚を、それぞれ独立した部品として描く方法です。子どもがこれで満足せず、連続した輪郭で描きたいという場合は、練習するしかありません。
(3)の配置の問題でつまづく場合もあります。
子どもは必要な部品を、できるだけ矛盾なくならべられる方向を無意識に選択します。これは「典型的な見え」と呼ばれるもので、大人でも、何かを簡単に図で示そうとするときには、この典型的な見えを使います。
たとえば、魚を描こうとするときに、正面や、しっぽの方向から見た図を描く人はまずいません。魚の典型的な見えは、側面からの見えです。
では、飛んでいる鳥はどうでしょうか?開いた両方の翼を描きやすいのは、真上、あるいは真下ですが、これでは顔が描きづらくなってしまいます。右のN.N.ちゃんの例では、くちばしだけは横からの図を採用し、他は(おそらく)真上からの図を使っています。
* N.N.ちゃん 7才2ヶ月
このように、一方向からの見え方だけでなく、いくつかの方向からの見え方を組み合わせなければならないとき、子どもは大いに悩みます。
次のサッカーの絵では、利き足とボールを描いたら、もうひとつの脚を描くスペースがなくなってしまったようです。
* H.H.くん 6才8ヶ月
かといって、この年齢ではまだ重なりを描くことはできません。脚を極端に小さく描くことで解決しています。(あるいは逆に利き足を伸ばしたのかもしれません。)
こういった配置の難しさも、自力で解決することが理想ですが、どうしても解決できないときは、
「脚を小さくしちゃおうか?」などとアドバイスすることは悪くないと思います。
やたらに口をだすことはつつしむべきですが、かといって、なにがなんでも自分で考えなさいといえば、子どもは
「絵って、なんだかむずかしいな」と感じてしまうでしょう。
必要ならお手本を描いてあげてもいいのです。描きたいものが描けるのは楽しいことです。その楽しさを何よりも優先しましょう。