絵は描けば描くほど上手になります。これはなわとびや、自転車に乗ることとかわりません。
いわゆる絵の得意な子と、そうでない子のはっきりしたちがいは、絵を描く量です。絵が好きな子どもは、多いときには一日に20枚、30枚といった量を描きます。これは時期にもよるようです。
我が家のふたりの娘を含む何人かの子どもの、小さいときからの絵をながめてみると、ある時期、爆発的に大量の絵を描いています。その時期の絵をひとつひとつ見ていくと、一枚ごとに新しい工夫や、実験があります。
一方で、描かない子どもは週にせいぜい数枚か、あるいはもっと少ないこともあるようです。
描画活動の発達には、成長に依存する発達的な側面と、トレーニング──基本的に自発的な──によって習得される技能的な側面があります。
そのトレーニングに必要な時間は、週に一回といった枠に納まるものではありません。日常的に絵を描くことが必要なのです。
発達的な側面は、なによりも身体的な発育に支えられています。絵を生み出すバックグランドである認知能力は、乳児期からの、しゃぶる、いじりまわす、といった探索活動や、さまざまな遊び、服の脱ぎ着などの身辺活動によって発達します。乳幼児にとっては、生活のすべてが発達の糧であるといっていいでしょう。
そういうわけで、ここでは絵の発達に特有の項目だけでなく、育児全般に関わる項目もあげてあります。
「なんだ、この絵は!」
「形が全然とれてないじゃない。」
「人間はそんな形してないでしょ。」
こんな言い方をたびたびされれば、たいていの子は絵が嫌いになります。
こんな露骨な言い方をしなくても、子どもは大人の評価に敏感ですから、自分の絵が認められていないと感じると、しだいに自信を失い、絵を描かなくなってしまいます。
はれ物にさわるように接するのは逆効果ですが、ちょっとしたきっかけでこどもが絵を描かなくなってしまうこともある、というのは心にとめておくべきです。
できあがった作品について寛容であることはもちろん必要ですが、手や服を汚すことに対して寛容であることも、のびのびと絵を描いたり、ものを作ったりするうえで大切なことです。
作品についてであれ、汚すことについてであれ、
「だれかに何か言われるのではないか」
とびくびくしている状態では、いい絵は描けません。
もうひとつ重要なことは、生活の中でのさまざまな失敗に対して寛容であることです。
絵が苦手だという子の多くは失敗することをこわがります。はんたいに、絵が得意で好きな子は、失敗しても平気で何度でも描き直します。
教室では、よく「郵便屋さん」や「大波小波」をして遊びますが、跳べるようになりはじめた子どもが、
「もう一回、もう一回」
と、挑戦する姿には毎年感動させられます。何度も描き直す子の姿も、まさにこれです。
失敗することは子どもの大切な仕事です。ころんで起きあがること、怪我をして痛い思いをすること、けんかをすること。
もちろん叱るべき時にはしっかり叱らなければなりませんが、必要以上に神経質になったり、失敗しないように先回りするのは、成長のチャンスをうばうことになります。
失敗するとき、子どもはいつも新しい扉を開けようとしています。それをはげまし、立ち直れた時にはおおいにほめてあげましょう。
お兄ちゃん・お姉ちゃんがいる場合は、第一子の場合とはちょっとちがった配慮が必要です。
兄・姉の存在は、プラスの面でもマイナスの面でも大きな影響力を持っています。兄・姉が絵が好きで、一緒にお絵かきを楽しむ、といったタイプなら、いい影響が期待できます。問題なのは、兄・姉が下の子の絵をけなす場合です。
子どもが年下の子どもをけなすのは、成長した自分に対する誇りの裏返しなのかもしれません。けなすことはとりあえず禁じなければなりませんが、一方で、年上の子のプライドも傷つけないように気を配らねばなりません。
「もう少し大きくなったら、お兄ちゃん(お姉ちゃん)みたいに上手に描けるようになるよ。」
といった言い方は、上の子をたてることにもなり、一石二鳥の言葉かけかもしれません。
モンテッソーリ教育の創始者マリア・モンテッソーリは、子どもが何かの活動に
(1)自分で選んでとりかかり、
(2)集中して取り組み、
(3)満足して自分からやめる
というサイクルが、子どもを精神的に成長させる大きな力になることを発見し、このサイクルを生み出す環境づくりを、モンテッソーリ教育の中心にすえています。
子どもが自発的にこのような活動に取り組むには、ゆったりした時間の中で、自由な状態におかれていることが必要です。
モンテッソーリよりも100年以上前に、ルソーは著書「エミール」の中で、子どもを自由な状態においておくことの必要性を強く主張しています。少し長くなりますが引用します。
──ここで、私は教育全体を通じて最も大きく、最も重要、最も有用な規則を述べさせていただこう。それは、時をむだにするなということではない、時をむだにせよということである。
──すべておくれればおくれるほど有利なのだと思いなさい。すなわち、何ひとつ失わないで目的に向かって進むことこそ多くを収穫したことになるのだ。子どもたちのうちに、少年期が熟するままにしておいてやりなさい。最後に、何か教えてやらねばならぬ必要が起こったときは?明日まで延ばして別に危険のないことなら、今日のところはひとまず待ってごらんなさい。
──子どもがその初期の歳月をなんにもしないで過ごすと見て、あなた方は心配でたまらない。なんということだろう!幸福であることがなんでもないことだろうか?一日中飛んだり跳ねたり、遊びたわむれ、走り回るのが無意味なことだろうか?一生のうちでこれほど忙しいときはまたとあるまい。
これは極端な意見でしょうか。ルソーのこのような考え方は、「窓際のトットちゃん」で有名になったトモエ学園や、イギリスのサマーヒルをはじめとする世界中のフリースクールに脈々と受け継がれています。
週に一日か二日しか自由な日がないという子どもたちが、そわそわと落ちつかなかったり、いらいらして集中できなくなっている様子を、私たちは教室で何度となく目にしました。絵を描いたり、ものを作ったりするのに、ゆったりした時間が必要なことはいうまでもありません。それ以上に、子どもが自分の心を育てていくためには、感じたり、考えたり、試行錯誤をする、たくさんの時間が必要なのです。
服の脱ぎ着、はしやフォークをあやつって食事をすること、お尻を自分でふくこと。どれひとつをとっても、幼児にとっては目と手をきたえる大切な機会です。
とくに、離乳食も軌道にのり、そろそろ自分で食べることをはじめる一歳すぎのお子さんをお持ちでしたら、テーブルが汚れることは覚悟して、自分で食べさせてあげましょう。なんでも口にいれたがり、飲み込みの事故も多いこの時期に、食事の時間は口と手で存分に探索できる、貴重なチャンスです。
教室では年に数回、料理の時間をもっています。4才児も包丁をつかって、野菜や肉を切ります。けがをすることもありますが、縫うような大きなけがになったことは幸い今までにありません。
幼児はお手伝いがすきです。 おかあさんにとっては、いそがしい炊事の時間にもうひとつ仕事をふやすことになりますが、ときおり時間をつくって手取り足取り指導していけば、何年か後には十分役立つようになるでしょう。料理のほかにも配膳や食器洗い、ふとんや洗濯物をたたむことなど、生活のなかにはいい教材がたくさんあります。
読み聞かせ・語り聞かせは、物語の力を借りて子どもの脳裏にさまざまなイメージを描かせるという点で、想像力の発達をたすけます。
もちろん、読み聞かせ・語り聞かせの効用はこれだけではありません。日常会話ではあまり使わない、書き言葉の語彙や表現を知ること、始めがあって終わりがある、物語という形式を知ること、耳元で親の穏やかな声を聞きながら、安らかな気持ちで眠ること、そしてなにより、物語そのものを楽しむことなど、数え上げればきりがありません。
疲れているときに「読んで、読んで」とせがまれるのはけっこうつらいものですが、時間と体力のゆるすかぎり、たくさんの物語をお子さんに聞かせてあげてください。
教室では木のブロックを使った工作をときどきやりますが、このとき、絵が苦手な子がすばらしい作品を作ることがめずらしくありません。
絵では部品から自分で作らなければなりませんが、すでにある部品を組み合わせるブロック遊びはハードルが低いようです。
製品としてはなんといってもレゴがおすすめです。教室では基本的なブロックを5セット分くらい、ダンボール箱ひとつに入れて、制作の合間に遊んでいます。フリースの大きな布をマット代わりに敷いて、その上にひろげると部品を探すのが楽ですし、片付けも楽です。
折り紙は教室でとくに教えることはありませんが、これも手が空いたときに好きな子がもくもくと折っています。子ども同士で教えあっている場面もよく見ます。
ブロックや折り紙が得意な子は工作全般に優れた能力を見せます。手順をイメージする能力や、立体を把握する能力がこれらの遊びを通して養われているのかもしれません。
TVやコンピュータゲームが直接子どもにどういう影響をあたえるかはまだよくわかっていません。ただ、乳幼児の視覚がさわって確かめることで発達していくとすれば、実体のない映像に子どもを長時間さらすことはけしていいこととは思えません。
とくにコンピュータゲームは、画面のなかの動きに、ボタンやレバーをすばやく動かすことで反応しなければならないという不自然さをかかえています。発達途上の柔らかな脳が、不自然な反応を繰り返し要求されることは、たいへん危険なことではないかと私は危惧しています。
紙はなんでもかまいませんが、大量に用意しておくのがよいと思います。お絵かき帳などを、まとめ買いしておくといいかもしれません。教室では、A3とA4のコピー用紙を500枚の束で買っています。
1~2才まではなぐり描きに耐えられる、太く柔らかいクレヨンがおすすめです。口にいれるのが心配だ、という方には、蜜蝋で作ったクレヨンというものもありますが、ちょっと手に入りにくいかもしれません。
3才くらいからは、線がはっきり見えるサインペンをおすすめします。サインペンは、いろいろなものが売られていますが、教室でここ数年使っているのは、「マービーマーカー1300*」です。色数が60色と豊富で、単色で補充できて丈夫、そして1本80円と値段も手頃です。
ただ、4才くらいまでの子どもは色には無頓着ですから、せっかくたくさんの色をそろえたのに、同じ色しか使わない、といってがっかりしないでください。大きくなるにつれて、多くの色を使うようになります。
これらの画材は、子どもが自分で取り出せるところに置いてください。散らかすからといって、いちいち大人が取ってやるのでは、子どもは絵から遠のきます。
「どうせ捨てられちゃうんだもん」
教室の生徒がそういうの何度かを聞いたことがあります。
作品を捨ててしまうことは子どもの制作意欲を損なう場合が多いようです。作品を大切にしていることを子どもに示せば、意欲はまします。
子どもの絵は貴重な成長の記録ですから、段ボール箱をひとつ用意して、とっておくのがよいと思います。日付と、そのときに子どもが話したことや感想などを、画面のすみや裏にメモしておけば、いっそう価値のあるものになります。
たくさん描く子の場合でも、6才までの作品を全部とっておいても、だいたい段ボールひとつに収まると思います。立体の作品は、子どもが忘れたころにこっそり処分するのはやむをえないでしょう。それでも、写真にとっておくという手はあります。子どもが親になるときに、子育てのノウハウとともに、こうして保存した作品を手渡すことは、たいへん意義深いと思います。